プロフィール

LIFE STORY

犬伏秀一の歩んできた道

これまでの人生が、いまの私をつくっている。

01
犬伏秀一 幼少期
犬伏秀一 幼少期 写真2
犬伏秀一 幼少期 写真3
犬伏秀一 幼少期 写真4

CHAPTER 01

図書館が居場所だった
少年時代

私は東京都北多摩郡国立町で生まれました。

3歳の頃に両親が離婚し、父と二人で暮らし始めました。父はとても子煩悩で、幼い私は母親がいないことをほとんど意識せずに育ちました。

ところが昭和42年の夏、父が突然入院。開腹手術の結果、末期の胃がん、肝臓がんであることが分かり、父は帰らぬ人となりました。

一人になった私は、千葉県市川市の伯父宅に引き取られ、市川市立冨貴島小学校、第6中学校へ通うことになります。

その頃の私の居場所は、市立市川図書館の少年室でした。

事情を知る司書の皆さんはとても優しく接してくださいました。本を読むことが好きになり、さまざまなことに興味を持つようになった私の「雑学の原点」は、市川図書館にあると言っても過言ではありません。

中学1年の3学期、産みの母が突然訪ねてきました。母の記憶はほとんどなく、私にとっては「どこかのおばさん」という感覚でした。

その後、母の再婚相手と養子縁組をして立川市へ転居しました。しかし、母が私の通う中学校の教員だったこともあり、私には自由のない生活に感じられました。

「中学校を卒業したら家を出よう」

そう決意したことが、その後の人生を大きく変えることになります。

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犬伏秀一 生徒時代 写真2
犬伏秀一 生徒時代 写真3

CHAPTER 02

15歳で家を出る――
航空自衛隊生徒へ

家を出る方法を探していた私に、転機を与えてくださった方がいました。

東立川駐屯地でテニスを教えてくださっていた筒井さんです。航空自衛官として隊員募集の仕事をされていた筒井さんから、「自衛隊生徒」という制度があることを教えていただきました。

私は母に内緒で受験しました。

そして合格。

第18期航空自衛隊生徒として採用されました。東京都からの採用は3人でした。

昭和47年4月3日、義父の車で立川から航空自衛隊熊谷基地へ向かいました。

「頑張れよ」

そう言われて基地へ入りましたが、当時の私は寂しさよりも、「これで独立できる」という喜びの方が大きかったことを覚えています。

入校前は優しかった教官や先輩たちも、「自衛官服務の宣誓」をした途端に一変しました。

そこから、私の厳しい自衛隊生活が始まりました。

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犬伏秀一 航空自衛隊時代
犬伏秀一 航空自衛隊時代 写真2
犬伏秀一 航空自衛隊時代 写真3
犬伏秀一 航空自衛隊時代 写真4
犬伏秀一 航空自衛隊時代 写真5
犬伏秀一 航空自衛隊時代 写真6

CHAPTER 03

厳しい訓練の中で学んだこと

生徒隊舎、食堂、浴場を移動するだけでも時間がかかるのに、極端に短い時間で食事と入浴を済ませるよう指示される。

間に合わなければ腕立て伏せ。何かあれば腕立て伏せ。そんな生活でした。

ラグビー部へ半ば強制的に入部し、昼休みも授業後も土日も練習。当時はつらいことの連続でしたが、振り返れば、若い時期に厳しい環境を経験したことは、その後の人生の土台になったと思います。

2年生からは剣道部へ移り、初段を取得。

3年生になると、基地内では最上級生となり、熊谷基地アマチュア無線部を設立するなど、自衛官生活を楽しむ余裕も生まれました。

その後、航空自衛隊生徒基礎課程を卒業。

私は当時の花形だったBADGEシステム、半自動航空警戒管制組織の職種を選びました。

鳥取県美保基地、島根県高尾山分屯基地で学び、レーダーサイトで防空の最前線に触れました。

授業中にもスクランブルが発令される。

日本海を一望するレーダーサイトで過ごした時間は、私にとって人生の中でも特に多くを学んだ時期でした。

この経験が、後の私のキャッチコピー、
「区政にスクランブル」 にもつながっています。

04
犬伏秀一 米軍基地時代
犬伏秀一 米軍基地時代 写真2
犬伏秀一 米軍基地時代 写真3

CHAPTER 04

米軍基地へ一人で
乗り込んだ少年

私は昔から、何か面白い情報を聞くと、自分で確かめずにはいられない性格でした。

自衛隊生徒3年生の頃、「航空自衛隊の身分証明書があれば米軍基地へ入れるらしい」という話を聞きました。

そこで私は一人で熊谷から横須賀の米軍基地へ向かいました。

基地に入り、教会へ行き、「英語を勉強したいので、誰か紹介してください」と神父様にお願いしました。

そこで紹介していただいたのが、第七艦隊の将校Crane少佐でした。

Crane家では誰も日本語を話しません。

「英語を話さなければ生活できない。休みには我が家へ来ればいい」

そう言っていただき、長期休暇には米軍家族の中で生活する機会を得ました。

ある日、少佐から「ミッドウェイに行こう」と言われました。

私はミッドウェイ諸島へ行くのかと思いましたが、向かった先は横須賀に停泊していた空母ミッドウェイ。

その巨大さに圧倒されました。

艦内にはスーパーやボウリング場まであり、それまでの私の常識が一気に破壊された瞬間でした。

05
犬伏秀一 羽田空港勤務時代
犬伏秀一 羽田空港勤務時代 写真2

CHAPTER 05

「アメリカを見なければ分からない」

空母ミッドウェイを見たことで、私はアメリカという国の大きさを強烈に意識するようになりました。

航空自衛隊では、日々「日本の防衛」について教育を受けていました。

その中で、「日本の防衛を本当に考えるなら、アメリカを自分の目で見なければ分からない」と思うようになりました。

そこで、私は航空自衛隊を辞め、アメリカへ渡る決意をしました。

渡米までの数か月間は、なるべくアメリカに近い場所で働こうと、羽田空港で仕事をしました。

手荷物検査や身体検査から始まり、英語が話せたため、外国航空会社の業務も経験しました。

この時の社員寮が大田区大森東と羽田にありました。

振り返れば、これが私と大田区との最初の出会いでした。

「日本の防衛を本当に考えるなら、
アメリカを自分の目で見なければ分からない。 」

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犬伏秀一 アメリカ時代
犬伏秀一 アメリカ時代 写真2
犬伏秀一 アメリカ時代 写真3
犬伏秀一 アメリカ時代 写真4

CHAPTER 06

アメリカで学んだ「自分で動く」ということ

渡米後、最初に暮らしたのは、サンフランシスコ近郊のメンロパークでした。

高校図書館の司書をされていたトンプソン夫人のご家庭に、家族同然で3か月間お世話になりました。

成人学校で英語とタイプライターを学び、その後サンノゼ市立大学へ進学。

私はフォトジャーナリズムを専攻しました。

「写真なら、英語が下手でも戦える」

そんな発想からでした。

大学へ通いながら、老人ホームや日本料理店でも働きました。

そして、アメリカで日本人学生のホームステイ先を探す仕事を始めたことが、後の旅行事業へつながっていきます。

1976年7月、日本から60人の学生をサンフランシスコ空港で迎えました。

その中に、後に私の妻となる女性がいたことなど、その時の私は知る由もありませんでした。

帰国後、羽田空港に近い大田区西糀谷に6畳一間のアパートを借りました。

ここから、私の大田区での人生が本格的に始まりました。

07
犬伏秀一 旅行会社経営時代
犬伏秀一 旅行会社時代 写真2
犬伏秀一 旅行会社時代 写真3

CHAPTER 07

旅行会社を経営――成功と挫折の両方を経験した

帰国後、横浜の小さな旅行会社へ就職しました。

毎日の仕事は団体旅行の飛び込み営業。

半年足らずで海外旅行を扱う資格を取得し、昭和54年5月、会社員を辞めて独立しました。

時代は旅行ブームへ向かっていました。

会社は成長し、やがて糀谷駅前にビルを建て、6店舗、売上20億円の会社になりました。

順風満帆に見えた事業でしたが、平成13年9月11日の米国同時多発テロによって状況は一変しました。

会社は倒産。

当時すでに区議会議員だった私は、議員歳費を債権者に差し押さえられ、電気やガスを止められるほどの生活も経験しました。

経営者として成功した経験だけでなく、会社を失った経験もあります。

行政や政治を考える際、私はいつも「制度を使う側」「税金を払う側」「事業をする側」の感覚を忘れないようにしています。

08
犬伏秀一 政治活動
犬伏秀一 政治活動 写真2
犬伏秀一 政治活動 写真3
犬伏秀一 政治活動 写真4

CHAPTER 08

一つの席が人生を変えた――政治の世界へ

旅行会社を経営しながら、私は大田区内のさまざまな団体に参加していました。

ある自衛隊関係団体の忘年会へ遅れて参加した時、空いていた席は一つだけ。

その隣に座っていたのが松原仁さん(当時浪人中、その後国務大臣)でした。

この偶然の席が、私の人生を大きく変えることになります。

その後、松原さんとの交流が続き、平成6年頃、政治の世界へ誘われました。

最初の区議会議員選挙では落選。

「もう選挙はこりごりだ」

と思いました。

しかし、支援してくださった皆さんから再挑戦を勧められ、平成11年の大田区議会議員選挙に立候補。

44位、下から7番目で初当選しました。

華々しいスタートではありません。

だからこそ、私は「一票の重み」を忘れません。

09
犬伏秀一 国政への挑戦
犬伏秀一 国政挑戦時の活動写真
犬伏秀一 国政挑戦時の活動写真

CHAPTER 09

国政への挑戦

区議会議員4期目の選挙を終えた平成24年秋、突然、国政への挑戦を打診されました。

議員会館に呼ばれ、「衆議院選挙に出てほしい」と言われたのです。

区議会で活動する中で、「区の力だけでは変えられない」と感じる制度もありました。

国の制度そのものを変える立場になる可能性に、期待したことを覚えています。

その後、政治情勢は目まぐるしく変わりました。

選挙では44,999票をいただきましたが、当選には届きませんでした。

選挙は結果がすべてです。

ただ、区政だけでは見えなかった国政の仕組みや選挙の現実を、自分自身で経験したことは、その後の活動にも大きな意味を持ちました。

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現在の犬伏秀一
犬伏秀一 現在の活動写真
犬伏秀一 現在の活動写真

CHAPTER 10

議員秘書を経験して、
再び現場へ

衆議院選挙の後、中山恭子参議院議員から公設第一秘書就任のお話をいただきました。

私の主な役割は、選挙の総括責任者でした。

ポスターやチラシの発注、看板設置、総務省への立候補届け出、全国への同行、当選証書の受領まで、選挙に関わるさまざまな実務を担当しました。

時には議員本人や周囲の方々と意見をぶつけることもありました。

振り返れば、決して「使いやすい秘書」ではなかったと思います。

結局、選挙後に辞表を提出しました。

しかし、国会議員の秘書という立場から政治を見る経験は、区議会だけでは得られない貴重なものでした。

MY WAY

これまでの人生が、
いまの私をつくっている。

私は昔から、

思ったことは言う。
気になったことは自分で確かめる。
必要だと思えば、まず動く。

そんな生き方をしてきたように思います。

幼い頃に一人で図書館へ通ったことも、15歳で家を出たことも、一人で米軍基地へ行ったことも、自衛隊を辞めてアメリカへ渡ったことも、会社をつくったことも、政治の世界へ飛び込んだことも――。

振り返れば、すべて今の私につながっています。

そしてこれからも、大田区の現場を見て、声を聞き、

言うべきことを、言う。
やるべきことを、やる。

その姿勢で歩んでいきたいと考えています。

主な役職・表彰・資格

主な役職

  • 自衛官募集相談員
    東京都隊友会(自衛官OB会)大田支部長
  • 大田区自衛隊家族会相談役
    大田区自衛隊協力会副会長
  • 六郷地区青少年対策委員会理事
    公益社団法人蒲田法人会理事
  • 一般社団法人東京郷友連盟執行委員
    靖国神社崇敬奉賛会々員
  • 六郷神社崇敬会・氏子青年会々員
    南六郷三丁目町会防犯部長
  • 一般社団法人倫理研究所法人局法人レクチャラー
    羽田空港倫理法人会々長

表彰等

  • 航空幕僚長(勤続20年)
    中部航空方面隊司令官(勤続10年)
  • 東部方面総監(募集協力)
    自衛隊東京地方協力本部長(募集協力・事務所移転支援)
  • 公益社団法人自衛隊家族会(永年会員40年)
    公益社団法人隊友会(募集協力・永年会員)
  • 全国市議会議長会(勤続20年)
    大田区長(区政功労者)
  • 大田区教育委員会(青少年対策委員活動)
  • 一般社団法人東京法人会連合会(会員増強)
    公益社団法人蒲田法人会(会員増強)

資格等

1級小型船舶操縦士 大型自動車免許 レーダー級特殊無線技士 第2級陸上特殊無線技士 第4級アマチュア無線技士 宅地建物取引士 総合旅行業務取扱管理者 自動車整備管理者 剣道初段 銃剣道初段 損害保険募集人 少額短期保険募集人 石綿作業主任者 中古自動車査定士

これまでの主な取り組み

これまでの区政活動の中で取り組んできたことの一部をご紹介します。 身近な行政課題から制度の見直しまで、現場で気づいたことを議会へ届けてきました。

01

区役所本庁舎前に
国旗掲揚ポールを設置

本庁舎前への国旗掲揚ポール3本の設置を実現。

02

いわゆる
「ゴミ屋敷」問題への対応

地域住民と交流しながら、問題解決に取り組みました。

03

職員への
飲み代助成を廃止

全職員へ公金から支給されていた職場助成費の廃止に取り組みました。

04

羽田地区の
町会会館建設を支援

町会会館建設に関する補助金獲得に取り組みました。

05

職員の名誉昇給制度の
見直し

退職日に給料を上げ、退職金を増額する制度の廃止に取り組みました。

06

自衛官OBの
防災分野への登用

自衛官OBを防災専門職として大田区職員へ採用する取り組みを進めました。

07

六郷地区の
町会会館建設を支援

大田区および自治宝くじの補助制度を活用した会館建設を支援しました。

08

区議会議場への
国旗掲揚

長年にわたり働きかけ、議場への国旗掲揚実現に取り組みました。

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